雪解け
結果が起こってから物事を言うのは簡単で、例えば不倫した芸能人とそれをおかずに金を稼ぐ芸能人がいたとき、不倫という非道徳とされている者に対するアプローチやその経緯、発端などはさておき、不倫=悪という前提のもと、不倫した結果を見て叩いている。この行為自体は猿でもできる非常に簡単な方法である。
しかし私はこの結果から物を申す形が吐くほど嫌いだ。
結果から物を言うなんてマジで誰でもできる。マイナスな結果があったときそれがマイナスであるというのは誰もが理解してるし、プラスな結果が出たとき誰もがプラスだとわかるだろう。当然の事実を繰り返し言う必要はない。
自分が携帯を無くし、詳細をSNSに書いてしまったが故誰かに取られた。
でもその事実は既に理解しているし、どうにもならない。なのにもかかわらずそこを詰めるというのは私を攻撃したい、としか考えようがないし、ならば結果以前になぜ最善案の提示しなかったのだろう?
確かに私が無くし、私が発信したのだから私に責任と損害がある。
しかし結果を受けてそこまで詰める必要があるのだろうか?事実を知っているのに。
ネットリテラシーを理解しているつもりではあったが、トラブルを前にすると気が動転してあり得ないことをやってしまう。
人、とりわけ私は弱いもので、メンタルがかなり弱っている。
ないだろうが、この状況を理解したからこそ、同じようなことが周りであったとき、サポートしたい。
何かの間違いであってほしい。
とりあえず盗人は果ててほしい。
#1 再出発
なんで本気で繋がろうと思わないんだろう?
人は繋がりを求め繋がりに感動する。しかしその繋がりは非常に脆弱で、形式的に繋がっているだけのものになってしまう。この状況は世の中マジで多いしなんかそれってどーなの?ハッピーじゃないよね?ってすごい思っていて。
「#写真撮ってる人と繋がりたい」というハッシュタグがある。根底には承認欲求があって、それを満たすために繋がりたい、みたいな。いいねorフォローしてくれればそれでいいよみたいなね。それがブランド化、意味のないタグ化していて繋がりたいか繋がりたくないかは関係ないっていう感じ。
大人の世界、とか難しい人間関係、とかクソどうでもいいし、そんなTAKEだけを求めて人を貶して〜みたいな世界知りたくないし。正直どうでもいい人ならとっくにフォローも外してるし、いいねもしないんだ。要するにもっと関わりてぇなって思います。常に繋がろう、連絡し合おう、会おうとかじゃないけど。
だからよく言われる「ゆるいコミュニティ」ってのは賛成。
その為にはもっと自分を曝け出す必要があるよね。という事でこれからブログという形で書いていこうかなと思います。