赤裸々

正直僕は学歴にコンプレックスを抱えている。ポジで生きていてもこれは消えない。見ないようにしていても無理だ。

第一希望校に進学できなかったから滑り止めの大学ににゅうがくするも日々違和感を感じている。文学部という学部のカラーもあるんだろうけど内向的な人が多い。それが一概に悪いとは言えないわけだけど、そういった中でいろんな価値観に揉まれた上ででもやっぱり自分のような人はマイノリティーだ。LGBTQや韓国や中国に対する考えも悪い意味で保守的。hateである理由を聞いてもそこには虚構しかなくて。全員が全員そうなわけじゃもちろんないけど。

メディアの操作植え付けがただ浸透している,彼らと一緒に行動していていいのだろうか。

私は大学に進んで何がやりたかったのだろうか。本当にこの環境にいて良いのだろうか。

それを考える毎日が子続いていたその中で私は社会学に出会った。ジャーナリズム。朝日新聞の元記者デスクにある徳山先生との出会いが私を変えた。それと並行して私は学生イベントと言うものに興味を持った。学生イベントはどこの大学関係なく様々なバックグラウンドを持った大学生が集まってテーマに沿ってコミニケーションをとる。

他の大学の方と話す過程で普段考えることのないことや全く新しい切り口の考え方を共有することができる企業している人や研究者東京アフリカコレクションと言う企画をしている人たちもいる。

その人たちとつながる中で何か安定したものを得ることができて一時的な優越感に浸ることができた。多分これが俗に言う意識高い系。それでもよかった。

数人集まってるのにもかかわらずスマホの画面と向き合って食べるゲーム飯や1人の弱者を多数でしかもLINEでいじめる陰湿ゲームに参加しているよりかは全然マシ。それが彼らにとってネイチャーなのかもしれないけど、僕にとっては違和感でしかない。

小さい頃から周りの人と同じと言うことが嫌だった僕にとっては普通より意識高い方が全然マシだった。

正直最近まで自分の意識高い系ではなく意識高い人間として認識していたが、それは大きな間違いで。というのも学生イベントを通して同じ大学生なのにもかかわらず、起業したり既に海外インターを何回も経験している人が沢山いて理系の方は研究を重ねてプレゼンや研究論文を出している人もいる。そういう人と比べたら自分もまだまだ行動童貞であって。そのために今何をすればいいのか、自分の今やろうとしていることが本当に意味があるのかそれを考えています。

チョロいというのは沖縄の友達から教わったメンタリティの一つで、究極のポジティブ思考だと思う。他にもカルバンの予定説は僕のメンタリティーの重要な1つで起こる事象の全てが運命で決められていると言うものでそう思うと気が楽になるこの2つで僕はポジティブを維持していたしかし全てに関して楽観的ではいけないそう思ういいようになりま他にも軽版の予定雪は僕のメンタリティーの重要な1つで起こる事象の全てが運命で決められていると言うものでそう思うと気が楽になるのだ。

この2つで僕はポジティブを維持していたがしかし全てに関して楽観的ではいけない、そう思うようになってきた。

ときには自分の起こしたアクションに反省し後悔し内省することも必要でポジと対極のネガである時間も少なからず必要なんだなーって。

とりあえず今は1日中海を見ていたり滝に打たれていたい気分です。

一時的に空気になってこの世から存在を消して世界を見ていたい気分。